浦浜念仏剣舞・金津流浦浜獅子躍一同より
この度の東日大震災により被災された皆様に
心からお見舞い申し上げます


 平成23年3月
11日に発生した東日本大地震。大災害をもたらしたのは津波でした。大船渡市では約3600戸の住宅が被災。死者・行方不明者は450人を超えた。大船渡市を代表する水産業関連の被災額は400億円を超え、昨年の水揚げ金額の8倍に匹敵すると発表されている。また、その他の事業所の被災額も300億円を超え、未曾有の大被害となった。

 浦浜念仏剣舞、金津流獅子躍の地元、大船渡市三陸町越喜来地区では、死者・行方不明94人、被災した住宅は280戸を超え、漁業もあわび種苗センターやワカメ・ホタテといった養殖施設、定置漁場が全壊、漁船のほとんどが流されました。市役所三陸支所、三陸公民館、越喜来保育所、越喜来小学校、越喜来診療所、保健センター、老人ホーム、三陸郵便局、JA三陸支店、漁業協同組合、信用金庫、ガソリンスタンドや飲食店、食品店などの商店も被害を受け、災害時に残った商店はローソン越喜来店の一軒でした。


3月12日撮影  越喜来小学校 校舎内東側階段より

 浦浜念仏剣舞と浦浜獅子躍の両保存会員中、自宅や店舗等全壊したのが9人ですが、家族を含め全員が無事でそれぞれの職場や地域で連日、奮闘しています。
 浦浜念仏剣舞と浦浜獅子躍が合同詰所として借用していた古民家(木造平屋建て・約20坪)は、津波により全壊。そこに保管していた剣舞の太鼓や道具の多くを流失。獅子躍の装束等のほとんどは庭元宅で保管中であったため、会員個人が保管する衣装数点と太鼓1個の流失で難を逃れました。


4月9日撮影 合同詰所跡地(向かって左側に刀が散乱し、面はアパート裏側道路にありました)


 集落は、瓦礫の山と化しましたが、瓦礫の撤去と壊れた建物の修復や解体が日に日に進み、復興に向け仮オープンする商店も出てきました。避難所で診療を続けていた越喜来診療所は、診療所の修繕が終わり再開。越喜来保育所は、越喜来幼稚園にて再開。越喜来小学校は、隣地区の甫嶺小学校で授業再開となりました。避難住民については、アパートや仮設住宅への入居が始まり、避難所は災害から約3か月で解散となりました。
 
震災から6カ月やっとインターネット回線も復旧。
 半年が過ぎようとしていますが、道路の復旧はまだまだです。




 8月に入ると、復興に向けてのイベントが多く開催され、ここ越喜来でも「LIGHT UP NIPPON」による花火を始め各種イベントが行われた。

 開催を危ぶまれた「三陸港まつり」は、全国から多くの支援を受け開催を決定。本来であれば会場は越喜来漁港ですが、漁港やその周辺の整備も進んでおらず危険と判断し、三陸公民館の駐車場にて開催した。
 例年行う灯籠流しは、地元の寺院「円満寺」からの灯籠行列と会場での供養としました。会場には熊本県水俣市の「愛林館」より贈られた竹製のたいまつ311個の送り火を灯し、来場者がそれぞれ焼香を上げて東日本大震災の犠牲者の冥福を祈った。越喜来漁港の浦浜川水門から約80発の花火を打ち上げる他、郷土芸能共演では、地元、金津流浦浜獅子躍、隣町の川原鎧剣舞、北上市の黒岩鬼剣舞、浦浜念仏剣舞が舞を披露しました。

 


平成23年8月16日 三陸港まつり会場の様子


 特別ゲストとして東京都三宅島「神着木遣太鼓」が出演。
 神着木遣太鼓と浦浜念仏剣舞の出会いは、平成16年の「ひたち秋祭り」で、その祭りの出演団体同士でした。お互い魅かれ合い、交流会で意気投合しただけの仲ですが…縁とは凄いものです。震災後には、いろんな支援をしていただいたにも関わらず、三陸まで来て木遣太鼓を披露してくれました。
 心に体に響くこの太鼓は、会場にいる人たちに笑顔や元気を与えてくれたと思います。
神着木遣太鼓の皆様、本当にありがとうございました。


東京都三宅島「神着木遣太鼓」





 浦浜念仏剣舞の道具は、まだ全て揃ってはいませんが、荒馬座さまを始め多く支援をいただき、着実に準備が進んでいます。また、荒馬座の「ノブ」さんには、剣舞の道具の作成などを長期に渡りお手伝い頂き、誠に感謝しております。

 災害時より多くの方々にご心配や援助をいただき、浦浜念仏剣舞・浦浜獅子躍保存会員一同、心から御礼申し上げます。
 鎮魂の思いを大切に、これからも躍っていきたいと思います。

平成23年9月6日