金津流浦浜獅子躍〜概要〜

 享保8年2月
伊達藩主・伊達吉村公が藩境巡国の折
勢子3千人を卒いて鹿狩りをした
大船渡市三陸町越喜来・浦浜

この浦浜に再び獅子が舞う



(三陸町・夏虫山より)



浦浜獅子躍来歴
●平成2年7月 浦浜鹿踊り復活の夢を追い11人が結集し、
 岩手県指定無形民俗文化財・金津流梁川獅子躍へ入門

●平成2年11月 役付の儀挙行

●平成3年11月 頭渡しの儀を挙行
    大正後半に姿を消した浦浜鹿踊を70有余年ぶりに
   「金津流浦浜獅子躍」として新生復活を図る

●平成10年1月 梁川獅子躍、伊出獅子躍、軽石獅子躍、松山
 獅子躍と共に奥州金津流獅子躍連合会結成に参画

●平成12年1月 ブルガリア国ペルニク市で開催された第13回
 国際仮面フェスティバルに奥州金津連の一員として同行出演

●平成19年12月 浦浜獅子躍第2代躍組入門の儀挙行、後継者
 養成を本格始動

●平成21年10 浦浜民俗芸能「伝承の杜」造成
       同所に金津流獅子躍供養碑建立

  


●平成21年11月 「伝承の杜」において
 伝授式、供養碑除幕式挙行




 (伝授式)

(四門の儀)

(供養碑除幕式)



現在二代目養成中







(平成20年菊池太蔵祭 浦浜門弟組デビュー)

(平成21年11月 伝承の杜にて2名の入門式)
これで総勢13人になりました




金津流獅子躍の解説と特徴

自ら囃し、自ら歌い、躍る
          
 鹿踊りは、太鼓をつけない幕踊り系と太鼓をつけた太鼓踊り系に大別され、金津流は、太鼓踊り系に属する民俗芸能。
 装束は、他のいかなる芸能にもみられない一種の威厳さがある。鹿角を横に張り出した獅子頭に長い髪采を豊かに垂らし、上半身を麻の前幕をもって覆い、下は大口袴。頭上に赤地の太く大きい華鬘(けまん)結びと絵柄の流しを後ろに垂らし、背に長いササラを背負う。 腰太鼓を斜めに付け、二本の細ばちで、自ら囃し、自ら歌い、躍るところに大きな特徴がある。

 祖霊供養、悪霊退散、五穀豊穣を祈願し、寺院や民家の庭で躍られ、また、地元の神社の例祭に奉納する神事芸能として伝承されてきた。
 素朴さの中に高い風格を兼ね備えた金津流は、まさに、東北の至宝であり、日本の代表的民俗芸能の一つといえる。

 演目には、三光の型(儀式の舞)・礼庭・霧返し・島霧・雌獅子獲り・案山子踊り・鉄砲踊り・土佐がある。

 芸技の伝承だけではなく、入門の儀・役付の儀・頭譲りの儀・総見の儀・最後に相伝四門の儀、供養碑の建立といった一連の儀式の伝統をも厳格に守り継承されている。



奥州金津連の概要
 金津流獅子躍は、宮城県志田郡松山町・旧次橋村の犬飼清蔵長明によって遠山久左衛門が岩手県江刺市・旧石関村の小原吉郎次に伝授、文政11年(1828)その石関から栗生沢 (現・梁川獅子躍) に伝えられて以来、連綿として今日に受け継がれている。 

 そうした金津流獅子躍のさらなる発展を望んで、 平成10年1月24日、初代中立・菊池太蔵を始祖とする梁川獅子躍を宗家とし、その流れをくむ、梁川第一別家の伊手獅子躍(江刺市伊手)、軽石獅子躍(江刺市広瀬)、浦浜獅子躍(大船渡市三陸町)、松山獅子躍(宮城県志田郡松山町)の五団体が大同結集し、奥州金津流獅子躍連合会 (略称:奥州金津連)を結成。

 会員相互の交流を深めながら、心と技を磨き合う獅子集団を目指し、金津流の優れた芸態の統一的保存・継承を中心課題として原型の習得始祖・菊池太蔵祭開催と五団体競演、後継者の養成に取り組んでいる。